昨日、木曽ヒノキを尾張藩が山守を設置して守ったと書きましたが、林野庁中部森林管理局のホームページによると、留山という制度をつくり、それが全国の各藩の模範となったようです。留山とは、ヒノキの優良林分を小地域で指定し、住民の立ち入りを厳重に禁止した保護林のことで、森林資源の備蓄を目的に行われたものだそうです。また、1708年には、木曽谷全域にわたり貴重な木材である、ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキの四木の伐採が禁止され、さらに1728年にネズコを加えた五木が地元民の伐採禁止木となり、この停止木(ちょうじぼく)が、後の木曽五木の由来となっているようです。
なお、本丸御殿は、木曽ヒノキも素晴らしいですが、天井や襖などの装飾も大変見事です。
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Author井内正直 Archives
December 2024
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